色と形

昔はリサ・ラーソンの良さがわからなかったし、石膏像を正確に描ける人が本当にうらやましかった。どうやら色と形について真剣に答えを考えてこなかったからじゃないかと思う。あとは世の中で絵が上手いと言われる人をなんとなく基準にしてきたからなんだろうね。そしてそれは男性が多い。女性の絵の上手さは世間一般にはわかりづらい。と、思う。なぜなら彼女たちは3次元を2次元に置き換えることをあまり重要視していないからなのだ。と、私は漠然と思う。この説は裏付けも理論もおぼつかないので歯切れが悪い。さっき思いついたから深く追求しないで。でも書いておきたい。忘れそう。

上野リチ展を見たあとあたりから、色が降りてくるまで描かないで待ってみることにした。あわてないあわてない。そうしたら言語化できない理由で色を置くようになってきた。ここでこちらのフリップ、じゃなくて画像をご覧ください。今までとちょっと違うね。

あまり男性・女性と分けて考えるものじゃないけれど、絵はどうしても男性は形を理解する人が、女性は色を理解する人が圧倒的に多い。これは先天的なのか後天的・社会的な理由なのかは脳学者じゃないのでわからない。いわゆる男性脳・女性脳、は似非科学だというし。
でも少なくとも私にとってどうやら色は、3次元を2次元に置き換える時に説明するためのものではなくて、何か別の理由で存在するようなのだ。だってそこにピンクを置きたいんだもの、という変な答えしかない。それでもどうしてもピンクを置きたいんだもの。
昔はそういうのは頭が悪そうで嫌だな、と思っていたのかもしれない。そして色と形について、理論をごっちゃにしていた。そうそう、「色が必要とする形」と「形が必要とする色」は全然違うのだ。だぶん。最近言語化できたのでまだ深く追求しないで。

鉛筆デッサンは静物画は得意だったけれど石膏像は苦手だった。たぶん私には石膏像に必要な色が見えなかった。静物画は色が見えた。いや、時間を膨大にかけたらもしかして石膏像にも色が見えたのかもしれない。それを突き詰めたら結果的に正確に描くことができて某大学にも受かっていたかもしれない。んなこたないわ。
なんてな。急に真面目に深いところまで考えが及んでしまったある日の夜。
なんにせよある程度のキャリアになってきたら開き直らないといけない。できないことを目指すのをやめなければいけない。もうちょっと早く気づいてたらなあー!

by
関連記事

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です